さよなら ひとつ
後編
互いに名前を教えあってから、また沈黙が続いた。
苦痛ではなかった。
ただそこにいることを受け入れられている。
それが感じられたから。
凌統は久しぶりの穏やかな気持ちで、空を眺めた。
もらった酒も心地よく自分を酔わせてくれる。
ふと、酒の主が声をかけてくる。
「好天と美酒のみではあるが…少しでも嫌な想いを拭う手助けになるとよいな。」
凌統は目をかすかに見開く。
この人は、空気のように自分を気遣ってくれているのか…。
それを暖かく感じると共に、会ったばかりの他人に気遣わせる自分を恥ずかしく思った。
その思いは、後者のほうが強く。
凌統は片膝に額を押し付け、赤くなる顔を隠す。
「…そんなにシケてた、顔。」
「…自覚がなかったのか?」
凌統のぼやきに、玄徳、という男は笑った。
嫌味に感じなかったのは救いだったが。
くすくすと笑う玄徳を見ながら、ふと凌統は口を開いた。
「ねえ玄徳サン。」
「ん?」
自分は何を言うつもりなのだ。
そう思いながら言葉は自然に続いた。こんなこと他人にもらすことでもないのに。
でも。
「たとえばさ。
親の仇が仲間になるって上に言われたらどうする?」
ぴくり、と玄徳の動きが止まった。
「たとえば、か?」
「…ん。」
我ながら嘘にならない嘘だ、と凌統は思ったが。
玄徳はそれ以上聞かなかった。
「そうだな。」
杯を口元から外し、玄徳は少しの間考えて。
言った。
「そうだな、許せれば…と思うだろう。」
その答えに、少なからず甘いな、と思う。
実際に殺された自分はこうはいかない…許せなくて、憎んでしまう。
そして玄徳は答えを続けた。
「だが人の心の事だ、こうとできるものではない。
まして大事な人を奪われたなら。」
「…。」
「いずれにせよ、答えを出せるのは自分だけだ。
それが分かっているから苦しんでるんだろう…違うか?」
「…っ…。」
「許す事も許さないで居る事も、難しい事だ。
そしてその答えが周りにはともかく…
自分にとって正しいかは誰にも決められない。
自分が自分を信じその答えを納得するまでは。」
「……。」
凌統は何も答えずに聞いていた。
「公績。」
「!な、何?!」
突然字を呼ばれ、不自然に反応する。
反応してから、無様だとは思ったが…驚いたのだ。
相手の言葉をじっと聞いていた時だったから。
そして、目の前の彼が字を呼んでくれたから。
玄徳はまた優しい微笑を見せると、立ち上がった。
「すまないが刻限だ…もう行くよ。」
「え…行っちゃうの?」
その言葉に、凌統は否応なしに思い出した。
自分と彼が、偶然会っただけのただの他人で…今別れればもう会う事のない存在だったことに。
それだけはイヤだ、と強く…感じる。
初めて。
「また、会えないか?玄徳サン…。」
「…そうだな、また縁があれば、どこかで。」
それはもう会えない、という言葉に等しかった。
この広い大地で、多くの人が存在する中でどんな縁を信じるのか。
「……。」
「そんな顔をするな。
私は縁というものを信じているのだ。
今まで私がこう言った相手にはかなりの確立で再会できているのでな…。
そのうち一人など、今では親友の一人だ。」
玄徳の力強い言葉は凌統に確証のない縁どこか信じさせた。
そして凌統は笑った。
「じゃ、信じるよ。
縁じゃなくて…玄徳サン、あんたをね。」
「随分な殺し文句だな。
お前のような色男に言われると女人なら靡く。」
「そう?じゃあ靡いてよ。」
「お前の目は節穴か?私のどこが女人に見える。」
(そういう意味じゃなくて…。)
ああもう、そこにいる馬に乗せて攫っていってやろうか。
半ば以上本気で思った、瞬間。
「ではな、公績。」
ちょうど見えない場所につないでいた馬に、玄徳は乗った。
その姿は堂々として。
そして、思い出した。
自分は彼を見たことがある。
「元気でな。
私もお前の出す答えが自分にも、周りにもよいものになるよう祈っているよ。」
「あ…。」
呼び止めるまもなく、玄徳は…呉と同盟を結んだ劉備玄徳は、馬を走らせた。
凌統はその姿が見えなくなるまで、視線を外すことができなかった。
そして見えなくなったとき。
皮肉げな笑みをもらした。
「アンタの言う縁…まんざら間違いでもなさそうだな。」
酔いは、まださめていない。
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「そ…か…やはり会えたな…。」
劉備の息が徐々に浅くなっていく。
それでも、この人は笑ってる。
さっきまでの怒りに満ちた闘士ではなく…あの日に会ったあの空気に戻って。
「…そんなことどうでもいい…オレにはあんな事言ったくせに…!
こんな…アンタらしくねー戦…っ!」
「こ…せき…?」
「アンタこそ良い答えなんか出せてねーっつの…玄徳サン…!」
激しく悲しみをぶつける凌統に、劉備は消え入りそうな微笑を見せる。
「…そうだな…それでも私は…
義弟たちのために…怒らず、憎まない人間ではいられなかった…。」
自嘲したように。
だが凌統も分かっていた。
それほどに人を愛し大事に想うことののできる劉備であったからこそ。
誰かのためにここまで憎み怒ることのできる人であったからこそ。
この人は慕われ愛され、柔らかに光る。
そして死んでいく…。
涙が、こぼれた。
「それが私の…答え、だ。
お前が気にすることは…な…。」
劉備は力の入らない腕をゆっくりと上げて。
ぼやけていく視界の中、目の前に居る男の頬に触れた。
「…ヒドいね…。」
「…もっとも…だ。
し、じょうで…大義のない戦を…し、た…。」
ごほ、と劉備は血を吐き出す。
ああ、死がそこにいる。
「玄徳サン…。」
「…っ…公績…お前は…よい答えを出せた…か。」
「…ああ…許せる…そう思えたよ…ここで…。」
やっとそう思えた。
甘寧は父を殺した、だけど同じ理由で自分を助けた。
戦の中で、勝つために敵を殺し、仲間を助ける。
それがやっと受け入れられた。
「よかった…な。」
劉備は笑った。綺麗に、優しく。
「…玄徳…。」
「がんばった…な…。」
「…!」
涙が溢れた。
その思いのまま、血にまみれた唇をふさいだ。
貴方に会えてよかったと、想いを伝えるために。
唇を離したとき、劉備は。
さようなら、ありがとう、と。
目の前の凌統に、今ここにいない彼の仲間や部下達に、心から慈しんだであろう妻に。
国に、民に、この世の全てに。
小さく小さく呟いた。
星が、流れていった。
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「玄徳さま!!」
声のしたほうに振り向くと、主の妹…尚香が現れた。
「…姫…。」
「…凌統…。」
凌統の足元には、彼女の愛する夫が横たわっていた。
凌統を責めることは彼女には出来なかっただろう。
この戦に彼女が出てきたのは…最後に会いたいという私情だったから。
それが果たせなかったのは辛いが…責めることは間違いだと。
覚悟していた。
分かっていたから…。
「…。」
この少女も、きっとあの時の自分に似た気持ちなのだろうか。
凌統はそう思って彼女に道をあけた。
「…玄徳さま…。」
尚香は劉備のそばに座り、劉備の亡骸を抱きしめた。
愛していた、と聞いた。
愛してくれた、と聞いた。
幸せだった、と聞いた。
「姫、劉備殿は…最後にありがとう、と…。」
「そう…。」
尚香は泣いていた。
珠のような涙をこぼして。
「凌統…お願い、しばらくの間だけでいいの…二人にしてくれる…?」
「…。」
凌統は無言で頷くと、その場をあとにした。
####
誰も知らない、知らないままでいい、ひとつの出会い。
ひとつのさよなら。
これからも、オレは絶対に忘れないだろう。
確かに感じていた いとしい気持ちと共に…。
end
なんだかバランスの悪い前後編になりました…。
凌統の気持ちの変化に劉備さんがちょっとだけでも関わっていたら、という願望を丸出しにしてみました!!
いやあ、暗いですね!!
そして今のところ死にネタばっかというおそろしい状態です三国ページ。
そろそろ面白話を書きたいですね!次は蜀の武将でvv
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